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第八話 「魔術師」
大垣ら一行のフェリーがロンドンに着くと、ワイズマン商社の小太りの中年男が出迎えに来ていた。一行はロンドン市内の中でも一流の場所にあるホテルに案内された。大垣と立脇はホテルの中でイギリス退役軍人会の大物ロードレックエンゲルスと会食することになっていた。暫らくすると背の高い男が現れた。元陸軍歩兵師団大佐のロードレックエンゲルスであった。大垣は日本の国内事情を立脇玄斎の通訳を交えて注意深く話し始めた。
大垣、「今、日本は国を挙げて近代化に取り組んでおり、私は、わが国の元首であらせる天皇陛下から富国強兵の命を受けています。我が軍は兵隊や銃器はそれなりに数は揃っておりますが、近代戦の戦術というものを知りません。そこで我が軍の教育を
お願いしたい訳でありまして・・・。 軍隊教育が出来る退役軍人を招きたい。師範としての仕事をして欲しい・・・。」 大垣は、立脇玄斎の通訳が間違わないように、ゆっくり言葉を選びながら喋った。
ロードレック「なるほど、よく分かりました。それで大垣参議は何名ほどをご希望か?」
大垣、「現在の兵力を考えますと、4人は要ると考えておりますが。」
ロードレック「よく分かりました。それで大垣参議はいつ日本へお戻りかな?」
大垣、「そちらの準備が出来次第、帰国しようと考えております。」
ロードレック、「よく分かりました。それでは3日後に、4人を紹介します。ただひとつ条
件があるのですが。」
大垣、「どんな条件でしょうか?」
ロードレック、「私も日本を見たい。私も一緒に行くのが条件です。」
大垣、「それはたやすいこと。こちらもウェルカムですね。ははは、、」
交渉はとんとん拍子に進み、大垣の希望の通り、陸軍の退役軍人4名が3日後に集まってきた。そして日本向けの船の手配も順調に進んだ。まるで全ての事があらかじめ準備できているかのように、何のトラブルも無く進んでいった。さすがにロードレックの
実力はすごいと大垣は内心満足気であった。少し気がかりだったことは、「あまりに順調過ぎる」ことぐらいであった。しかし船が日本に近づくに従いそれも大垣の頭から忘れ去っていった。
帰国した大垣とロードレックエンゲルスをはじめとする元軍人らは、宮中に出向き天皇に拝謁(はいえつ)を済ませると、宮中で帝國軍大将の伊藤康文(いとうやすぶみ)に会った。伊藤はロードレックとその部下達に高級スコッチを進めると英語を流暢(りゅうちょう)に操りはじめ、通訳なしで会話した。そして彼らに過去の軍隊での手柄話を聞いた。話を一通り聞き終わると、伊藤は、日本はイギリスに非常に似た国であることを熱心に話し始めた。
伊藤、「.... 地政学的にもイギリスに似ております。大陸に近く、周囲が海で囲まれている海洋国であること。それから両国とも王室があり、わが国では現人神(あらひとがみ)でおわせられる天皇陛下が元首になりました。・・・それと海賊の栄えたことも。まあ これは冗談ですが。」 アルコールが程よく回ってくると、伊藤は饒舌(じょうぜつ)に喋り続けた。
伊藤、「今、わが国に必要なものは、西欧式に訓練された強力な軍隊です。わが国は、大砲や最新式の銃器を手に入れましたが、西洋式の兵学を知る者がいない。あなた方に我が帝國軍の教育をお願いしたいのです。さすれば侍達を黙らせるのも容易になることでしょう。」 伊藤が言い終わると、ロードレックは、うなづいた。
ロードレックは侍(Samurai)という聞きなれない言葉の説明を伊藤に求めたが、伊藤は将軍の戦士(Warrior)とだけ説明し、それ以上、侍達の事を口にしなかったのであった。
ロードレックと元軍人の一行は、東京丸の内近くの大垣が準備した仮宿舎に移った。宿舎は、西洋式洋館で内部は20部屋もある立派なものだった。屋敷の周囲は帝國軍によって厳重に警備されていた。
翌日、ロードレックは洋館を管理する大垣の部下に奇妙な物を要求してきた。生きた鶏(にわとり)を5羽連れてきてくれ、というのであった。そして、自分達は、これから重要な会議を開くので絶対に部屋の中を見たり、中に入ったりするな、と釘をさした。
その会議は、奇妙なものだった。ロードレックと4人の元軍人は、部屋の中で大きな円の中に星型の模様が書いてあるシートを敷いた。そして、ロードレックと4人は黒マントを纏い円陣の中の星型のそれぞれの頂点の位置に一人ずつ立った。手には鶏を抱
えていた。すると黒マントの下からナイフを取り出し、鶏の首をちょん切ってしまった。鶏の胴体から赤い血が流れ出すと彼らは無造作にその血を飲み始めたのである。それも一段落すると、ナイフで鶏の臓物を抉(えぐり)り出し、円陣の外に放り投げた。そ
して一斉に呪文を唱え始めた。「アギダ。メダ。メガ。メダ。アンブリダ。アギダ。メダ。メガ。メダ。・・・」
呪文を唱え始めてから暫らくすると、5人の面相は変わり始めた。鼻の先は尖がり、鉤鼻(かぎばな)になり、目は血走って釣り上がり、口は耳元近くまで裂けていた。そして5人が5人とも全く同じ面相になった。呪文は日が昇るまで唱えられた。
翌日、宿舎の窓から太陽の光が差し込むと、呪文は止み、彼らの面相も元の人間に戻っていた。明日は、帝國軍訓練開始の初日だ、悪魔の会議が終わった英人たちはそれぞれの部屋に戻っていった。
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第七話 「侍と新政府」
新政府は、イギリス軍をモデルにして、急ピッチで帝國軍を整備しようとしていた。将軍は散っても、地方の侍達が同盟を組んで新政府に逆らえば、日本は内戦に突入し、海外列強諸国に軍隊介入の口実を与えるかもしれない。そこで新政府は帝國軍を実践で使える軍隊に育て上げ、侍達をできるだけ早く壊滅させることを画策した。しかし侍達も源頼朝(みなもとのよりとも)の時代から700年間も戦うことを仕事にしてきた戦士だから、壊滅させるとしても容易ではない。そこで、帝國軍に強力な近代兵器を導入し、海外の軍隊と同じレベルの作戦が出来るよう、にわか仕立ての教育訓練を計画した。
新政府の参議、大垣友助(おおがきともすけ)は天皇から富国強兵の命を受け、自ら進んで海外の軍隊を視察し、見聞を広げていた。大垣は、当時の豪商、鴻池右衛門(こうのいけうえもん)および医師で通訳の立脇玄斎(たてわきげんさい)、イギリスの商人
ビルワイズマンらと共にイギリスポーツマス港に上陸した。大垣一行はイギリス式の軍事訓練ができる人物を探すため、密かに元イギリス軍関係者と会うことになっていた。日本は王政復古により天皇を中心とする新政府が発足したばかりだ。しかし新政府
といってもその実情はお粗末だった。まず元々自前の武力で勝ち取った権力ではないから、新政府軍といえるようなものは存在しなかった。そのため僅かな金で食うに困っている農民や商人達をかき集め、にわか仕立ての軍隊を作った。これに「日本帝國
軍」と強そうな名前を付けたのである。
また国家の糧(かて)である税の徴収はといえば、未だに地方の幕府直轄の藩統治の残骸があった。税徴収の基礎である住民の戸籍はといえば、何処に誰が住んでいるのか、新政府が把握することはかなり困難であった。それどころか、当時は名前すら無
い人々も大勢いた。これらの人々を管理していたのは侍であったが、その侍は、新政府を敵と思っている。したがって人々から税金を徴収すること自体、大変な事業に他ならなかった。税の徴収も侍達が健在ではうまくいかない。したがって侍達の存在は、新
政府にとっては目の上のタンコブであったのである。
武士は幕府時代の遺物になったが、しかし衰えたといえども、彼らが勢力を結集すれば新政府にとって大きな脅威となる。大垣は、そのことをイギリスに知られると、日本帝國軍を育てるどころか、内戦の勃発をイギリスに悟られ、下手をすれば英軍の介入を招いてしまうと考えた。そこで大垣は、豪商の鴻池の金とコネを使って英軍を退役した軍人と接触し、武器商人から武器を購入しようとしていた。民間の力を借りて目的を成し遂げようとしたのであった。
1869年2月、大垣友助とお供3名は、イギリスの海軍ロイヤルネービーとロイヤルマリーンの拠点のポーツマス港にあるホテルに宿泊していた。イギリス人商人ビルワイズマンは日本語も少し話せる男であった。ワイズマンはイギリス退役軍人会のトーマスアキナスという人物との接触に成功した。大垣、立脇、ワイズマンはトーマスアキナスとホテルの近くで会食した。トーマスは、大垣らの話の内容を聞くと、元自分の上官でロンドン在住の退役軍人会の大物、ロードレックエンゲルスを紹介すると言い出した。そして露骨に仲介のギャラを要求してきた。
大垣、「アキナスさん。ロードレックエンゲルス氏は名のある元大英帝國軍人を集められますかな。それと我々は、最新式の武器も欲しいのですが、武器商人との接触は可能ですかな。」
アキナス、「彼は退役軍人会の大物ですぞ。ただそれは表の顔で、裏では武器の密売をはじめ、阿片や人身売買までやっていると噂されている。私は本当のところは良く分かりませんが。ただ彼に会ってお金を見せれば、たいがいの願い事は叶うとの噂は
本当のようです。」
ポーツマスからロンドンまでは、今でいうところのフェリーボートが行き来していた。 翌日、一行がフェリーに乗船すると、周囲にいた何人かの乗客が見馴れない東洋人の姿にジロリと目線をやった。ワイズマンは久しぶりの母国でくつろいだのか、早口の英
語で乗客の一人と喋っていた。医者で通訳の立脇玄斎が話しの内容を聞き取ろうとしたが、英語が早すぎて聞き取れない。
しかし僅かに聞き取った内容は、(ワイズマン)「自分はここ9年くらい日本に滞在して商売をしている。日本というのは不思議な国だ、これまで見た東洋のどの国とも違う。危険なところだが、一攫千金のチャンスもゴロゴロしている国だ。自分も仕事を成功さ
せれば、日本の天皇から巨万の褒美が授けられるであろう。」ということを自慢げに話しているようだった。一攫千金の自慢話に周囲から数人の客が会話に参加してきた。しかし、これから後の会話はスラングが多く、玄斎には意味不明のものになった。
フェリーはワイト島を目前とし一路ロンドンに向かった。この地域は自然の地形でできあがった立派な港が方々にある。チェチスターからサウスアンプトンまでの4つの港は有名だ。この海域のソレントと呼ばれる一帯は異国情緒の豊かな風景であった。フェリ
ーから遠くにポーツマス港に停泊している軍艦も見えた。蒸気機関で動くウォリヤー号であった。大垣は帝國軍にもあんな軍艦があったならば、との思いに駆られていた。
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第六話 「黒金の馬」
将軍の時代が終わり、新政府が誕生して間もなくの頃、新政府には大きな問題が2つあった。ひとつは海外列強諸国から侵略を阻むため、どのような方策を練るかであ る。新政府は、そのために海外の軍隊をまねててもいいから、急ピッチで帝國軍を整 備しようとしていた。もうひとつは、将軍は散っても、当時、地方には武士を中心とした侍社会が歴然として残っていた。侍達が同盟を組んで新政府に逆らえば、日本は内戦に突入し、海外列強諸国に軍隊介入の口実を与えるかもしれない。これをどうするか、であった。そのため、新政府は出来たばかりの帝國軍を使い、侍達を壊滅させることを画策していた。
1869年頃の秋の甲斐の国は、黄金色の稲穂が実り、透き通るような青空が広がり、山ではわらび、ぜんまい、きのこなどの山菜が豊富に採れ、小川のほとりには秋の花々が咲きみだれるはずであった。しかし、今年の秋は様子が全く違っていた。甲斐
の国では、「黒金の馬」を通すため、農民の土地の没収が始まっていた。「黒金の馬」とは、蒸気機関を搭載した、鉄道のことである。鉄道の線路の妨げになるものは、田んぼであろうが畑であろうが、民家や神社、墓であっても直ちに帝國軍兵士の手で取り壊 しになった。これに逆らうものがあれば、帝国軍が銃口を向けた。そしてかなりの農民が無残にも銃殺されていった。
鉄道は、スコットランド人のジョージ・スティーヴンソンが蒸気機関車を発明し、1825年に商業運転に成功して以来、急速に世界に鉄道網が広がっていくこととなる。この勢いはすごかった。現代のインターネットの発達にも似ている。一番大儲けしたのは
鉄道網で結ばれた諸都市の商人たちであった。1854年ペリーの率いる アメリカ東インド艦隊4隻来航 が江戸湾羽田沖で停泊中、米国使節が幕府に対しエレキテル・蒸気車 などを献上したと伝えられる。幕府が潰れ、新政府に権力は移った。新政府は、蒸気機関車は、近代国家樹立のため最優先の国家的事業とした。鉄道は、物資や人の輸送に欠くことのできないものであることは歴史が証明している。鉄道なくして近代国家の成立なし。これも自明のことだった。
権力体制は幕府から新政府に変わり、新政府も鉄道を敷設するのに熱心だった。その鉄道敷設のやり方は、どの国にも見られないような強引なものだった。たとえば線路を引く土地の前方に村があった。線路敷設の最先端では鉄道敷設の測量隊が
帝國軍兵士にお護衛されながら敷設予定地を測量していた。線路は村を二分するような形で通ることになった。測量が終わり線路敷設の方針が決まると、直ちに新政府の役人が村人に家を立ち退くように命令を出した。役人の後ろには帝國軍兵士が銃剣を
かざして農民を威嚇していた。立ち退き命令は単なる脅しではなかった。逆らう者があれば、家を放火された上、銃殺されたのである。これが単なる脅しでないことを村人に見せつけるため処刑は村人を集めて公開で実行された。多くの村人は、これを見て着
の身着のまま、粗末な家財道具を手に命からがら逃げ出した。これが農民達にできる精一杯のことだった。このやり方は地方の下級武士たちが住む家・屋敷についても全く同じだった。ただ武士が農民と違っているのは戦う手段を知っていることであった。その頃の地方の下級武士は、大部分は石高が70石から40石と少なく、武士といえども実質上の生活は農民達と同じであった。この石高では、使用人を一人雇って、1年間自前で生活することは出来ない。そこで多くの下級武士たちは、自分の敷地に野菜や果物などを栽培し、食料としていた。このような状況では帝國軍から見れば、下級武士は農民と何ら変わらない。そこでこれら武士達の住居も農家と同じように潰されていった。ただ武士達にとって新政府の軍隊である帝國軍はもともと敵であったので、交渉する相手ではなかった。しかし戦うにも、地方の武士が単独で帝國軍に立ち向かうことなど到底出来はしない。そのことは武士達が一番良く知っていた。そこで彼らは、帝国軍兵士が自分達の家を焼き払う前に武器を隠して身を潜め、秘かに逆襲の機会を伺っていた。
帝國軍の鉄道敷設の目的は、万人のためではなかった。日本各地に帝國軍の基地を作り、取り分け地方に分散した武士達が新政府に反乱を起こしかねない。この武士勢力の一掃を図るためであった。
鉄道敷設のもうひとつの目的は、各地で産出する砂金や鉱石、農産物、木材など資源の運搬であった。これは欧米と同じように鉄道は、都市部に住む一握りの商人達に巨万の富をもたらすことになった。
1854年の米国のペリー来航以来、幕府崩壊から新政府樹立直後の日本は、暫らくこんな半ば無政府的状態が続いていた。軍属とその周囲の商人達はやりたい放題をやっていた。その中にあって武士達は密かに起死回生の機会を伺い、新政府から「無用物」と烙印を押された不名誉を何とか取り戻したいと願っていた。
ところで当時の日本の近隣諸国は、大英帝国が、東南アジアのビルマと海峡植民地(後のマレーシア)、中国の香港を流刑植民地として出発したのをはじめに帝国主義が一層拡大する風潮にあった。またフランスはインドからイギリス勢力により撤退を余儀なく されてから、アジアの国々とりわけ日本を植民地にしようとイギリスとともに虎視眈々と狙 いを付けていたのである。だが、運が良いことに日本は未だ欧米列強の植民地支配は及んでいない。ただ何か事あれば列強が軍隊を介入する機会を伺っているのは明らかだった。
日本の新政府の要人達はこのことをよく知っていた。しかし、日本には実際に未だ欧米列強の手が及んでいないことに安堵の心があり、強い危機意識が表に出ることはなかった。新政府内には列強の介入なしになんとかこのまま行けそうだとの楽観論が支
配的になっていた。
しかし、実際には魔の手が直ぐそこまで迫っていたことを誰も知らなかった。。。
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解説 物語の背景 明治維新
黒船の大砲の音に驚かされた幕府は、アメリカから和親条約を突きつけられ、長年 の鎖国政策を止めるよう迫られた。1854年のことである。 幕藩体制下の国内政治は、徳川300年の鎖国政策のおかげで大きな戦乱も無く、 天下泰平の世であった。それはまた官僚化した武士が中心の社会でもあった。そこに 突然訪れた黒船を幕府が恐れたのも無理は無い。例えば、黒船の大きさは、サスケハ ナ号は、全長78メートル、排水量2450トン、乗組員300名であった。さらにミシシッピ号
は、全長68メートル、排水量1692トン、乗組員268名。それに対し、当時の主流であっ た幕府の千石船(せんごくぶね)は全長20メートル、排水量僅か100トン程度だった。
その為、黒船は約20倍の排水量になり、このような巨大な船が煙突から黒煙を上げ て動くのを見れば、まるで島が動き出したような感覚であった。この軍艦に千石船で戦 わば、到底勝てる相手ではないと思もえたのも無理もない。
1958年になるとアメリカのハリスが来訪して、修好通商条約の締結を迫った。幕 府は孝明天皇の許しが得られないため、アメリカの初代総領事ハリスとの通商条約調 印を延期し続け、幕府側の事情を知るハリスも延期に応じていた。 しかしこの年の6月13日、下田に入港したミシシッピ号が、アロー号事件で清と交 戦中だったイギリスとフランスの連合軍が、清を打ち破って天津条約を結び、そのまま 日本へ向かうかもしれない、という情報をもたらした。これで状況は一変した。ハリスは この情報を幕府側に伝え、これまでの苦労を無にしないためにも一刻も早く調印を行 いたいと申し入れた。同時に、他国との問題が起こった場合には、アメリカが仲介する と約束した。何かあれば海外列強が介入してくる、それが当時の日本がおかれた状況 だった。
しかし幕府の大老・井伊直弼(いいなおすけ)は天皇の返事を待つ姿勢を貫いてお り、直接ハリスとの交渉に当たっていた海防係の岩瀬忠震と井上清直に「なるべく延期 を申し入れ、それが受け入れられない場合には調印しても良い」という指示を与えた。 英仏の動きに危機感を持っていた二人は延期交渉をすることなく、6月19日に神奈川 の小柴沖に停泊するポーハタン号に到着するとすぐ、日米修好通商条約に調印してし まった。これによって幕府は箱館、横浜、長崎、新潟、神戸の5港を開放した。江戸や 大坂などの市場も開放されて貿易が開始された。
ところで幕府が締結した条約は「治外法権」、「関税自主権の放棄」、「一方的な最 恵国待遇」など、日本にとって不利な内容を含む不平等条約であった。条約港となった 横浜、神戸、長崎などでは外国人居留地も設置された。その地は日本にして日本にあらずの治外法権の場所だった。このような弱腰の幕藩体制が海外列強の侵略を受ければ、いとも簡単に崩れ去ることは、日本周辺のアジアの国々がことごとく植民地化されてゆく現実を見れば、容易に想像できた。そして、このまま幕府に頼っていたのでは
日本は危うい。幕藩体制を潰し、外国勢力を追放しなければならない。いわゆる攘夷 が叫ばれた。そして攘夷思想が、当時の識者や獅子達に共通する思いになっていった。
その後、倒幕運動は現実のものとなる。幕府は朝廷に接近して権力の再構築を図 る公武合体政策を行うが、公家の岩倉具視や、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小 松帯刀、長州藩の桂小五郎、広沢真臣などの尊皇攘夷派らは、王政復古、武力討幕 路線を突き走る。しかし薩摩は、薩英戦争で大敗すると実質上の攘夷は不可能と悟 る。攘夷は諦めて倒幕と王政復古を錦の御旗に掲げると豹変してしまった。
長州藩は下関戦争で英米仏蘭の4国連合艦隊が、軍艦17隻、備砲288門、兵員 5千名により開戦後たった1時間で砲台を沈黙させられた。だが長州は薩摩のように攘 夷を捨てなかった。ところが長州も後に攘夷に意味の無いことを悟る。攘夷派であった 孝明天皇が死去すると、次の天皇が攘夷の意を示さなかったためである。そして中の 悪かった薩摩と長州が密約し、1866年薩長同盟を結び討幕は現実のものとなった。 薩長同盟から2年後、秘かに倒幕の勅令が下された。ところが幕府の方が役者が上だ った。土佐藩主山内豊信らの進言により、将軍、徳川慶喜は政権を暫定政府の代表 である大久保利光に渡し江戸城を無血開放して、隠とんしてしまったのだった。これに より大政奉還が事実上の戦いなくして実現した。
ペリー来航から15年目にして、王政復古が実現し、天皇を権力の中心とする明治政 府が成立した。1868年のことであった。
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第5話 「祈祷(きとう)」
現代医学では幽体離脱の正体は明析夢(めいせきむ= 現実世界と区別できないほどのリアルな夢)であると言う。しかし現代医学の夢幻説に対して、人の魂と同一視される幽体が肉体から抜け出るという心霊説も多くの人が信じている。魂と同一視されている幽体が、本体の肉体から一時的に離れる、それが幽体離脱なのだという。
聡史(さとし)は、幽界から戻り、自分の姿を病院のベッドの中で見た。ベッドの上から、自分自身を眺めているのは、なんとも奇妙な感覚であった。自分の肉体はベッドの中にあるのに、それを見ている自分がいる。聡史の意識は未だ戻っていなかった。聡史のそばには母親が懸命に看病をしている姿が見えた。聡史は自分がここにいる。安心してと、母親に伝えようとした。しかし、母親は聡史の幽体の気配は感じ取っているようだが、その姿は見えていない。母親は、懸命に聡史の肉体の看病を続けている様子が見えるだけだった。そこに病院の医師がやって来た。聡史の幽体は病院の医師と母親の会話をはっきり聞くことができた。
医師が言った。「聡史君は頭部を相当強く打撲しています。意識が回復するまで数日かかるかも知れません。それまで絶対安静にしておいてください。心電図、脳波などは今のところ、大きな問題はないようです。とにかく回復するまで、安静に。」、母親は、それを聞いて幾分安心したように頷(うなず)いた。
聡史はその会話を聞いて、自分も安心した。そして幽霊武者達と伴に、過去世界にタイムスリップして、「幽霊戦士信忠」として、帝國軍と戦わねばならない。聡史はそう思うと、自分の頭上に丸い細長い空洞のようなものがあるのに気が付いた。「行かなくては」、聡史がその空洞の方へ移動しようと思うと、聡史の幽体は聡史の意思の通りに移動した。
聡史の幽体は、過去の世界にタイムスリップする訳であるから、現在から、時空の壁を超越(ちょうえつ)して異(過去)世界へ移動することになる。だが聡史は、自分がどの時代の何処に行けばいいのか全く検討も付かなかった。ところが、行かなければならないと思っただけで、聡史の幽体はその空洞の奥深に向けって勝手に移動をはじめていた。
聡史は空洞に入ると、直ぐに病院の建物の頭上にいた。空洞はそこから宇宙のかなたに向かってやや湾曲しながら、永遠の彼方迄、続いているようであった。聡史の幽体は空洞の中を移動していた。次に聡史が見たのは、大海原と小さな陸地だった。聡史は自分の移動する速度が段々速くなっているのが分かった。すると直ぐに大きな青い地球の姿が見えてきた。そして次の瞬間にはまた速度が増した。今度は、太陽らしき恒星が見えてきた。その恒星も段々小さくなり、細い光の筋のようになってあっという間に消滅した。そうしていると聡史は自分が移動している空洞の壁が、猛烈な光を放ちはじめているのを見た。その光は、これまでに見たことの無いような激しい光の筋で、まるで真空空間と自分の幽体とが摩擦を起こして、光を放っているようにも感じ取れた。その光の筋を見た聡史は、時間という感覚が消えていた。聡史は、自分が光の筋に囲まれてから、経過した時間は1秒なのか100年なのか全く分からない感覚に捉われた。そしてその光の筋が薄くなると、また青い地球が見えて来た。
聡史は地球上の何処かの城の頭上に近づいていた。聡史の幽体が城の中に吸い込まれるように入ってゆくと、そこには15歳くらいの巫女が5人ほどで祈祷をしている場所であった。巫女達は互いに手を繋ぎあい、なにやら祈祷の呪文(じゅもん)を唱えていた。それはまるで音楽のような響きのような呪文であった。聡史は自分の姿が巫女達の前では、普通の人間の姿をしている事に気が付いた。ただ自分の肩の上に、青白い光が燈(とも)っているのも同時に分かった。
巫女達は、聡史の幽体の姿を見ても祈祷を続けていた。すると聡史の背後から、もうひとつの青白い光の塊が聡史の幽体に向かって近づいてきた。その青白い光は、聡史の肩の上に燈っている青白い光に向かって真っ直ぐに進むと、その光と溶け合って合体した。
すると巫女達が祈祷の呪文を唱えるのを止めた。「殿、お久しゅう御座います。」と巫女の一人が言った。すると聡史は、その巫女の名前を思い出した。「衣通(そとおり)会いたかったぞ。」、聡史は自分の記憶の中に、衣通姫(そとおりひめ)が居ることに気がついた。
聡史は、巫女達の降霊術により、時空の壁を乗り越えて、100年前の過去世界にいた。そして、松平信忠(まつだいらのぶただ)の魂と合体し、過去世界の記憶を取り戻した。
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第4話 「幽界(ゆうかい)」
聡史(さとし)は再びあの夢の世界にいた。そこは何処(どこ)か分からない場所であった。遠くには大きな山波が連なっているのが見えた。その山波の山頂あたりは、丁度、夕暮れの最後に太陽が断末魔の叫び声を上げて、山並の影に葬られ、やがて代わりに夕闇の支配が始まる頃のように、上方の空だけが真紅の光線を放っていた。その先の空は真っ暗であり、空に星はなく、たた永遠の暗闇が続いているように見えた。あたりを見回すと、そこには夕暮れの最後に見られるような淡い真紅の光線に照らされた世界が広がっていた。地表にはごつごつした岩があちらこちらにあった。しかしよく見ると、足元には地面も広がっていた。地面には緩やかな起伏があり、そこには樹木のようなものが生えていた。そして山並みの反対側には大きな川が流れていた。川の向こうには大きな城らしき建物が見えていた。まるで現世において、永遠に夕暮れが続いているような世界であった。
聡史(さとし)の目の前には、狐火に照らされている16人の武者がいた。その武者は、合戦の戦場にいる武者姿であった。鎧姿で頭には兜をかぶり、顔には鉄面をしていた。背中にはどこかの藩旗らしい旗が挿(さ)してあった。夢の中であった武者の幽霊の姿そのものであった。そして16人の武者はやはり自分に向かって跪(ひざまづ)いていた。
「殿、お久しゅう御座います。」と、そのうちの一人が言った。聡史は自分の姿を見ると自分も武者のような鎧をまとっていることに気がついた。しかし、聡史はその16人の武者が誰なのかは分からなかった。聡史はその武者に言った。「お前は誰だ。自分はどうしてここにいるのか。」
するとその武者は兜や鉄面を外し始めた。鉄面を外すと、25才位の若い侍(さむらい)であった。背後にいる幽霊武者達も一斉に兜や鉄面を外し始めた。その武者達は、更に若い20才位の侍であった。
「あなた様は、我らが君、奥州10万石藩主、松平信忠(まつだいらのぶただ)様に御座います。自分は信忠様の家臣で槍頭(やりがしら)の兵衛(ひょうべい)と申すもの。後ろのもの達は、槍組五番隊の戦士一同にござります。」 よく見るとその顔立ちは皆若々しかった。が、肩辺りに皆、青白い火が燈(とも)っていた。
兵衛がこう言うと、聡史は、自分の左肩あたりも少し明るい光があるのを感じた。そして左を見ると、ギョッとした。自分の左肩の上あたりにも青白い光が燈っていたのだ。聡史は自分が死んでしまったのか、と考えた。
「ご安心下され。あなた様の肉体は、亡んでおりませぬ。我々の肉体も未だ亡んでおりませぬ。我らは戦闘にて負傷し、魂が肉体を抜け出て幽界に運ばれて来た者。まだ肉体は亡びておりませぬ。」 と、兵衛が言った。
「信忠様、お聞きください。」、と兵衛は突然、訴えるように言った。聡史は自分が信忠であるとの意識は全く無いので兵衛の言っている事をただ聞いているだけだった。
「信忠様、亡き後、西洋列強国に操(あやつ)られた新政府の軍族が侍(さむらい)の魂を忘れ、次々に諸藩を襲っております。軍属どもは鉄道と申す黒金の馬のような奇怪なものを作るため、民百姓の土地を没収し、家を焼き払い、逆らうものあれば有無を言わさず殺す蛮行におよんでおります。やつらの行為は全て己が利の為だけもの。これを打つべしと我らは近隣諸藩と同盟を結び新政府の軍族討伐を企てておりますが、列藩同盟の軍を統一するには、信忠様に大将を勤めてもらう以外に手立てはありません。新政府軍族は西欧列強から銃器を買い入れ、農民にまで銃を持たせております。このままでは諸藩は全て壊滅し、日本は西欧列強に操られた帝國軍によって西欧の属国となってしまうでしょう。」
聡史は初めて彼らの言わんとしていることが分かった。しかし、聡史は思った。信忠は既に死んでしまった。信忠の肉体は滅んでしまったのではないか。自分の前世が信忠だとしても、滅んだ肉体には戻れないのではないか。そこで聡史は言った。「信忠の肉体は滅んだのでは。」
すると兵衛が言った。「はい、その通りです。兵衛以下、槍組五番隊の戦士はこれから実世界の肉体に魂を戻し、我々の実世界にあなた様をお連れ致します。幽霊として。」
聡史は、これを聞いて自分が幽霊になる。立場は逆になったな、と思った。しかし、未だ分からない点がある。聡史は、自分は未だ聡史の魂しか持たないのであって、信忠の魂はどうやって自分の中に入り込んでくるのだろうか、と思った。そこで更に兵衛に
聞いた。「自分の前世は信忠であるとしても、自分はまだ聡史の魂しか持っていないが。」 兵衛が言った。「我らの巫女が霊媒術により、信忠様の霊魂を呼び戻しております。その霊魂があなた様の魂と結び合います。 と、申してもあなた様はもともと信忠様、信忠様時代の記憶が蘇るということですぞ。」
聡史は未だ分からない点があった。それは自分の年が若すぎることだ。自分は14歳だから、まだまだ大人ではない。そこでまた聞いた。「自分は14歳なのだが、同盟軍の大将など勤まるのだろうか。」 すると兵衛は答えた。「14歳と申されるが、15歳は元服(げんぷく)の年、また信忠様は若年ながら兵学・兵法や和算の天才ということも我ら家臣一同、よく心得ています。」
これで決まった。信忠の魂が入ることにより、20世紀の世界を知っている聡史の知識と兵学・兵法の天才とが合体する。「幽霊戦士信忠」はまさに超能力、スーパーパワーの大将であり参謀なのだ。
しかし、敵は強大で邪悪な帝國軍。はたして壊滅できるのだろうか。。。。
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第3話 「三日月(みかづき)」
満月は世界を映す銀の鏡。半月は過去と未来の境をさまよう。闇の月は眠りの中で再び生き返ることを夢見る。そして三日月はその時を告げる。と、占星術の本に記されている。
月のおぼろげな光に照らされたた世界は、現実の世界とは一味違う世界を作り出す。月の光の下では、現実の世界の輪郭はぼやけて薄くなり、普段は隠されてしまっているものが浮かびあがる。闇の中に潜んでいる運命の予兆のようなものが、見えるか見えないかの微かな光によってすっと浮かび上がり、その姿を見せるような気がしてくる。特に月の中でも三日月ほど、不思議な妖力を持つ光はない。三日月の光る晩に一人でその光に包まれた世界を眺めれば、町であろうが村であろうが山中ならなおさらのこと、どこかで歌声が聞えてくるような、そんな気がしてしまうものだ。西欧の伝説では、それは精霊たちの歌声として語られる。しかし、実際は樹々や草が風に吹かれて鳴らすのざわめきの音か、動物たちの寂しげな泣き声であろう。そんなものが三日月の晩ならまことしやかに聞こえてくるものだ。
「三日月の晩に。。。 地蔵様の所まで一人で参られよ。」 この言葉が聡史の頭から離れなかった。聡史(さとし)は、10月の暦を見ていた。昭和25年(1950年)の10月の新月は11日であった。三日月はそれから3日後、つまり14日の晩、太陽が沈んだ西方の空に現れる。この前、山に登ったときは、月齢が三日月よりやや進んでいたので山から下りる時間まで聡史達の足元をわずかに照らす僅かな光があったが、今度は違う。この月は日が落ちると、あまり長い時間出ていないのだ。それに光が弱すぎて足元が分かるほどは照らしてくれない。
聡史は少し不安になった。「あれは夢だったんだ。自分は、三日月の晩にお地蔵さんのところまで行く必要があるのだろうか。」 段々、不安の方が大きくなった。
不安になりながらも聡史は夢の幽霊が言っていた「我ら来世に参り、我が君に再び会えたことに感無量の。。。。」、との意味を考えていた。これの意味をまともに解釈すれば、幽霊武者達は、過去の時代から"来世"、つまり未来、つまり聡史のいる現在、まで自分に会いにやって来た。しかも自分に向かって"我が君"と言っていた。我が君、とは自分の事なのか? 自分だとすると自分が知っている自分の他に、幽霊武者が"君"と呼ぶ自分が自分の中にもう一人いるのか? 聡史は少し頭が混乱し始めていた。
確かに、夢の中でそう言っていたが、あれは夢なんだからと思いつつ、その言葉が気になって頭から離れなかった。幽霊武者の言い放った言葉を考えているうちに、聡史の胸の中に"これから始まるであろう事"に淡い期待も湧いてきた。そして聡史は決心した。あの夢が本当なのか14日の晩、お地蔵さんのところまで一人で行こう。
そう決心すると聡史の心からは不安が消えてしまった。
14日は2日後であった。2日後の晩、聡史は西の空の三日月を確かめると、親には内緒でそっと家を出た。そして山の方向に向かって歩いた。山に入るまでの途中、聡史は運よく誰にも会わなかった。そして山についたころ、日はとっぷりと暮れ、空の薄明(はくめい)の中に三日月が怪しく光っていた。反対の空には満天の星空があった。星明りも薄明も明かりには違いなかったが、聡史の足元を照らすには、光が弱々しすぎた。
聡史はゆっくり転倒しないように足元を確かめながら山道をお地蔵さんの方向へ歩いていった。お地蔵さんまで、山の入り口からはおよそ2Kmくらいの距離である。
三日月が西の空に沈むと急に風が出てきた。10月も半ばの夜の山中であったので風は少し冷たかった。その風の吹くのと同期するように、山の樹木達がいっせいにざわめき始めた。聡史は風の音と樹木のざわめきを聞きながら歩いているうち、その音が不思議な響きをしているのを感じた。あるときは「わー」という叫び声に、あるときは「うぎゃー」というわめき声に、その音はいろいろな響きで何重にも繰り返されて段々大きくなっていった。そして風が止むと、その叫び声のような響きも同期してぴたりと止んだ。
聡史は少し気味悪くなってきた。ただ不思議にこのまま引き返そうとは思わなかった。
そしてまた風が出てきた。それに同期して樹木のざわめきも一斉に始まった。お地蔵様まであと一息というところで聡史は目の前に不思議な光景を見た。暗くてよく見えないが、三角帽のようなものを被(かぶ)り、銃剣をこちらに向け構えている男がいつの間にか目の前に迫っていた。突然、その男は聡史に向かって銃剣で切りかかってきた。聡史が「わぁー」と声を出して体を引き、道端に倒れる。すると聡史の背後から突然、日本刀を振りかざした鎧姿の男がすっと現れ、銃剣の男に日本刀で切りかかった。日本刀と銃剣が激しくぶつかるような音が聞こえた。聡史は、道端に倒れていたが、武者と兵隊が目の前で戦っている姿を見た。そしてまた突然、風が止んだ。すると、あたりは何も無かったようにひっそりとしており、誰もいなかった。
聡史は、ゆっくり起き上がり、今見た戦いを何だったのか考えたが、お地蔵様は目前なので、とにかくお地蔵様の方へ向かって歩いた。
恐る恐る20mくらい前へ進むと、また風が吹いてきた。すると今度は前方に3人の兵隊が現れた、3人ともウォーという声と共に突撃の姿勢で銃剣を振りながら聡史に向けて襲い掛かってきた。すると聡史の背後から3体の狐火が現れそれと共に3人の武者姿の男が、それぞれ兵隊達に太刀を向けた。一人の武者が太刀を真一文字に振りかざし、兵隊を切りつけると、その兵隊は銃剣で刀を受け切れず、その刀の刃(やいば)が兵隊の頭部を直撃するのが見えた。そして青白い血しぶきのようなものがはじきとんだ。そうしているうちにまた風が止んだ。するとその戦闘もどこかに消えうせてしまった。
聡史は自分は狙われていると思った。お地蔵様は目前だった。何故自分を狙ってくるのか分からなかった。聡史は風が吹かないことを祈っていた。幸運にも、風は吹かなかった。お地蔵様のところへ着くと、そこには水のみ場があった。聡史はそこの山清水(やましみず)を一口飲みほした。そして後ろを向いた。すると四方から多数の狐火が聡史のいる場所に向かって集まってくるのが見えた。狐火はゆっくりと舞うように聡史の方へ近づいてきた。その数は、16体くらいあった。聡史はその狐火が自分を守ってくれるような気がした。それを見ているうちに、段々、気が遠くなるのを感じた。
聡史は、気が遠くなりながらも目の前に16体の狐火とその背後に16人の武者の姿を見た。しかし更に意識が朦朧(もうろう)としてきて、その場に倒れてしまった。
聡史は翌朝病院にいた。聡史が無断で家を出てから、それに気づいた家族が警察に捜索願いを出した。そして聡史の町の消防団が明け方近くに、近くの山のお地蔵様の辺りの崖から足を滑らせ倒れていた聡史を発見した。聡史の命に別状はなかったが、頭部を打撲し意識不明の状態であった。
「あんなに聡明な聡史君が何故一人で月も無い夜に山になんか行ったのかね。」聡史の親も学校の先生も誰もその訳が分からなかった。ただ聡史の弟の俊夫と隣の家の修一は狐火と何か関係があることを感じていた。
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第2話 「夢枕(ゆめまくら)」
聡史(さとし)は二学期の中間試験の準備をしていた。明日は数学と英語それに地理の試験がある。聡史は数学や理科が得意科目だった。聡史の数学の先生は芳賀豊次郎という昔風の名前の教師だった。この教師は数学の論理を大きな声で分かりやすく教えるので、子供達も数学の難しさをさほど感ぜず、どんどん理解していった。聡史もこの教師の授業を聞くようになってから、数学が好きになった。一方、暗記力が勝負の地理、歴史といった科目は苦手だった。明日は苦手な地理の試験がある、と思うと聡史は少し憂鬱であった。しかも地理の教師というのは、聡史に「幽霊などこの世にいないのだ」、と1時間も説教したあの教師であった。聡史は、教科書を見ると直ぐにその教師の怒鳴りちらしている顔が頭に浮かんできた。教科書を読んでもその教師の声が頭の中をグルグルと駆け巡り、ちっとも教科書に書かれている事など頭に入ってこなかった。嫌いな科目の勉強とは、こんなもんである。
聡史は地理の教科書を読み返していると、段々と眠気を感じてきた。好きな学科を勉強しているときは頭は冴えてくるが、嫌いな学科はまるで催眠術にでもかけられるようだ。目はとろりとしてきて、いつの間にか眠り込んでいた。
眠りの間、聡史は不思議な夢を見た。
「サトシ、、、 さとし、、、 聡史、、」、後ろで誰かが自分を呼んでいる。聡史が振り向くと、そこは何処(どこ)か分からない場所であった。見たこともない景色であった。昼なのか、夜なのかさえも良く分からなかった。遠くには大きな山波が連なっているのが見えた。更に目を凝らすと、聡史の目の前に、狐火に照らされている3人の武者がいた。その武者は、まるで中世の合戦の戦場にいる武者姿であった。鎧かぶとに身をくるみ、顔には鉄面をまとい、その鉄面の奥には表情が全く無い顔があるように見えた。背中にはどこかの藩旗らしい旗が挿(さ)してあった。聡史は直ぐに理解した。その姿は、聡史が夏休みの夜、山で見た武者の幽霊の姿そのものであった。聡史は、「あの幽霊がまた出てきたのだな。」、と考えた。
聡史が振り向き、3人の武者の幽霊の方へ目線をやると、不思議なことに3人の武者はまるで主君の前で跪(ひざまず)いている侍(さむらい)のように自分に向かって、跪(ひざまず)いた。恐ろしい光景だったが、聡史は不思議にうろたえなかった。聡史はただじっと3人の武者の幽霊を一人ひとり見ていた。
すると真ん中の武者が跪(ひざまず)きながら口を開いた。 「我ら来世に参り、我が君に再び会えたことに感無量の喜びを感ずる次第です。。。」、と言い放った。聡史はこの武者の幽霊が言った事の意味が理解できなかった。その幽霊は更に続けて言った。「我が君、亡き後、西洋列強国に操(あやつ)られた新政府の軍族が侍(さむらい)の魂をも忘れ、次々に諸国を襲い、民を殺し、己が利の為だけの業(ごう)を行っております。これを打つべしと我ら諸藩が同盟を結び。。。。、新政府の軍族討伐の企てが、主君亡き後に崩れかけようとしていますのは、真に持って無念。。。」
聡史は、暫らく聞いていた。が、幽霊達が自分に何かを訴えてようとしているのは理解できたが、その意味が分からなかった。
その幽霊は、最後にこう言った。「三日月の晩、もう一度、狐火が出る山の地蔵様の所へ一人で参られよ。」 言い終わると、3人の姿はどこにも無かった。
聡史が夢から覚めたのは、地理の教師が怒鳴っている声がまた頭の中を駆け巡ったときであった。聡史は、ウームと少し苦しそうな表情で目が覚めた。そうだ明日の地理の試験は、これではまずい。聡史は現実に引き戻された。
地理の教科書のしかるべき範囲を一読すると、聡史はこれ以上、勉強をやっても身につかないと考え、眠りに着いた。翌朝目が覚めた。聡史は、夕べ勉強の途中で夢枕に立った3人の武者の幽霊のことを思い出していた。不思議な夢を見た。そう思いつつ、聡史は学校に行く準備を始めた。そして中間試験を受けた。
数日後に全教科の試験結果が発表された。心配していた地理の点数も落第しないほどのまあまの点数を取った。数学はクラスでトップの成績で満足できるものだった。聡史は、ほっと安心した。
暫らくして試験の心配が過ぎると、聡史は、あの不思議な夢のことを何度か繰り返し、考えるようになった。
幽霊が言っていた「我ら来世に参り、我が君に再び会えたことに感無量の。。。。」、とは、自分の事なのか。。。。
「三日月の晩に。。。 地蔵様の所まで一人で参られよ。」
この二つ言葉が聡史の頭から離れなかった。
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第1話 「狐火(きつねび)」
昭和25年の夏、太平洋戦争も終わって5年が過ぎた。戦争の傷跡も未だ癒されない頃であった。これは福島の田舎にある中学校での物語である。この地には、戊辰戦争で戦死した武者が幽霊となって出てくるとの伝説があった。
中学二年生の聡史(さとし)と小学6年生の弟の俊夫は、ひそひそ相談していた。
「今夜、行って見ないか。」と、兄の聡史が言った。その頃の夏休みの子供の遊びといえば、今と違ってメンコやベーゴマ、かくれんぼ、あるいは近くの川で魚釣りや泳ぎを楽しむくらいであった。テレビはまだ無かったし、ラジオはあったが大人のものであった。子供達の間で刺激の強い遊びといえば、例の遊びだった。子供達に口コミで噂が広がった例の遊びというのは、肝試しであった。肝試しの方法は、深夜に墓地に行くというのではない。深夜にその町の近くの山に2人〜3人で入ってあるものを待つ、というのである。あるものとは「狐火」のことであった。二人の兄弟は相談がまとまると、その家の隣に住んでいる中学生の修一君も誘うことにした。「同級生の健一も玉夫も本当に見たって言ってるぞ」と、聡史は少し興奮気味に弟と修一に話した。狐火とは狐が嫁入りに行くとき燈(とも)る、怪しい青白い光の行列のことである。いつしかこの町の近くの山で狐火が燈り、それを見たという噂が噂を呼び、深夜に見物人が何組も山に入ることさえあった。
3人は今夜は学校で天体観測があると親には嘘をいって出かけた。その夜は月が出ていた。しかし三日月(みかずき)ほどの明るさで、近くにあるものがようやく何か分かるほどであった。当時、懐中電灯などというものは貴重品で子供達には手に入るようなものではなかった。そこで三人は狐火が出ると噂される山に、三日月の明るさを頼りに進んで行った。山の入り口に着いた。聡史が空を見ると、三日月と満天の星空が広がっていた。
「おい、俊夫、足元気おつけろ」、と兄の聡史が言った。山の入り口は山菜取りの人が2人並んで入れるくらいの広さであった。山に入るとその道の両側には雑木が鬱蒼と茂っていた。雑木の間から、天空の星空が見え隠れしていた。おい見ろや、白鳥座だ、と聡史が言った。空には、琴座のベガ星、白鳥座のデネブ星やワシ座のアルタイル星などが見事な光を放って輝いていた。
3人が恐る恐る暫らく歩いて山の入り口から1Kmほど入ったところで、遠から何やら人の動く気配がした。山道は人が2人並んで歩けるほどの一本道である。遠くの人の気配は段々と聡史たちのほうへ近づいてきた。聡史はとっさに俊夫と修一にいった。おい隠れろ。3人は手を繋ぎあい、近くの茂みに身を潜めた。息を殺して暫らく待つと、段々、人影らしきものが近づいてきた。それは自分達と同じ3人の集団だった。兄の聡史は、この人たちは自分達と同じく狐火を見物に来た連中に違いないと考えた。しかし何者なのか、三日月の月明かり程度では確認することはできなかった。
その人影が立ち去ると、3人は恐る恐る道に出てきた。兄の聡史は「まだ誰かがいるかもしれん。大きな声で話すな、と2人に釘をさした。」 そして、更に1Kmほど先にあるお地蔵さんのあたりの山奥まで行ってみようということになった。この山道の途中にはお地蔵さんが一体祭られていた。そしてその脇に、山から湧き水が出てくるところがあり、そこには水のみ場となっていた。「もう帰ろう」と突然弟の俊夫が言い出した。「なんだこれしきの事で」、と兄の聡史が弟をなだめるように言った。とにかくまだ狐火も何も出てこないのであった。兄、聡史はこのまま帰れば、いずれ仲間に馬鹿にされる、との思いから、弟を説得し、更に1Km先のお地蔵さんのところまでは行こうということにした。
暫らく歩いてゆくと、今度は先ほどとは反対の方角から誰かが近づいてくる気配がした。兄の聡史は二人に向かってまた隠れろ、と小声で言った。3人が藪の茂みに息を殺して隠れていると、人の気配が迫ってきた。しかも今度は、明かりが燈っていた。
その明かりは、青白い光であった。回りを照らすというよりは、そこに人がいるということがようやく分かる程度の弱々しいものであった。明かりは3つ燈っていた。藪の中で3人は息を殺して、その明かりが通り過ぎるのを待った。兄の聡史は、先ほどそれが何なのか確認できなかったので今度は、目を凝らして、じっと見ていた。間もなく、3人の人影が明かりと共に目の前を通り過ぎようとしていた。今度は明かりがあったので、先ほどと違い、人影が何なのか、薄っすらと見えてきた。明かりは狐火だった。狐火に照らされて薄っすらと浮かび上がってきたのは、3人の武者の姿だった。まるで中世の武士のように、鎧兜を身にまとい、弓矢を持って、のしりのしりと歩いていたのである。
聡史は、声を出そうにも声が出ず、隣の修一の肩を指でつついて、それを見ろと合図を送った。修一は恐ろしさの余り、ひと目だけその武者の姿を見たが、それ以降は目をつむったままであった。聡史の弟の俊夫は、はじめから終わりまで目をつむったままで何も見ていなかった。3人は武者が通り過ぎたあとも、暫らく体が動かず、藪のなかでじっとしていたが、間もなく、山道に飛び出た。聡史は走って山を降りようとした。しかし、暗くて足元が良く見えず、何べんも尻餅をつきながら、ようやく山を降りることが出来た。
翌日、聡史は中学校へ行き、仲間を集め狐火に照らされた武者の幽霊を見たことを得意になり仲間に話した。この話しは、仲間から仲間に口コミで伝わり直ぐに学校中で評判になった。
夏休みも終わったある日、この聡史の幽霊話を教師が聞きつけ、聡史に言った。「おまえ武者の幽霊を見たそうだな。」、とその教師は、はじめから聡史の噺を胡散(うさん)臭いという口調で聞いてきた。聡史が、「はい、見ました。」と答えると、その教師は言った。「おまえ幽霊なんてものは、この世にいないんだよ。何故、いないものが見えたのか、お前の頭の中を調べなくてはならんな。」 聡史は教師にこう言われたが、自分は確かに見たので「やっぱり見たんです。」と自信を持って言い直した。すると教師は、「なんでそんな嘘を学校中にばら撒(ま)くのか。」と聡史をどなり始めた。聡史はこの教師から同じ内容の説教を繰り返し1時間も聞かされた。家に帰ると聡史は、自分の見たものを、段々と信じられなくなってきた。「そうだ、隣の修一も同じものを見ているので、修一にも証言してもらおう、そうすれば自分が嘘をついていないとみんなに分かってもらえる」、と考えた。
聡史は、隣の修一君に、「おまえも武者の幽霊を見たなら、見たってことを、みんなの前で言ってくれ。」、と頼んだ。しかし、修一は言った。「あのとき自分は一瞬、目を開けた。確かに何やら目の前を通り過ぎたものを見たが、怖くてすぐに目をつむってしまったので何を見たのか自分はよう分からん。」と言った。
聡史はこれ以上この話を学校ですれば、仲間からも教師からも白い目で見られる、と考え始めた。そしてこれ以降、武者の幽霊噺は聡史の心の中にしまわれ、2度と人前では語られなかった。
白河口の戦い(解説)
鳥羽・伏見の戦いから始まり、函館・五稜郭の戦いで終わった戊辰戦争は、白河小峰城を巡る激しい攻防戦でも多大な戦死者を出した。 1868年(慶応4)5月1日の戦いで、白河小峰城に集結していた会津・仙台・二本松・棚倉・新撰組などおよそ2500人の奥羽越列藩同盟軍と、奥州街道を北上する新政府軍とが激突した。 旧式の武器しか持たない同盟軍は、約700名の戦死者を出して落城し、敗走した。たった一日で、これほどの死者を数えた戦いは、日本戦史の中でもあまりないとされる。他方、南方から攻撃した僅か700人の新政府軍に出た、戦死者は僅か12人。これほど見事に勝敗が分かれた戦いも他に見られない。 以後、同盟軍は、7月15日まで7回の奪還攻撃を試みたが、ついに小峰城を奪還することは出来なかった。 当年4月から続いたおよそ100日間に及ぶ"白河口の戦い"は、両軍合わせて800名を超える(一説では1000名近い)戦死者を出す激戦地の一つとなった。死体は山に町にごろごろところがっていたそうだ。また、この地の人々は、東軍、西軍を問わず、戦死者を手厚く葬ったっとされる。福島県白河市には今も50箇所を越える、戊辰戦争の墓碑が残っている。
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